交通量調査のアルバイトがなくなるという記事を読んだ。近い将来、人ではなく人工知能が交通量を計測するようになるらしい。大学生の時、終日、調査員として座っていた交差点の角へと、なぜだか無性に行ってみたくなり、JR我孫子駅へ。手賀沼を見てから成田線の電車に乗った。
今回の角は、調査員を務めたいくつかの交差点のうちの一つに過ぎない。が、電車とのつながりで特別な印象のある場所だった。その角といえば、真っ先に「小林駅」の景色が思い出される。道路がカーブを切る位置に、その小さな木造の駅舎があった。調査を終えて、担当者のワゴン車に乗せられて帰るときに目に留まり、”人の苗字のような地名だな”と思った。
帰宅してから地図で調べて、成田線の難読駅名の多さに驚かされ、興味をそそられたものだ。
「木下」駅:「きのした」ではない(こちらは苗字のようではない)。「きおろし」と読む。
「下総松崎」駅:しもうさ「まつざき」ではなく、「まんざき」と読む。
「安食」は「あじき」、「新木」は「あらき」で、「荒木」を「あらき」と読ませるのでなく、新しいほうで読ませる。
このあたりは、手賀沼のように、湖のような広々とした沼がある。「湖北」という駅もあるくらいだ(これは「こほく」と読めばいい)。近くに利根川が流れる。古代から海や河川や水運など、水にまつわる諸々のことがあったことをうかがわせる。
そして、「小林」駅に着いた。
駅舎は日光をうけて白く輝く真新しい橋上駅に変わっていた。それでも、カーブの景色は、あのころの面影がある(と私には思えた)。
駅から歩き始めた。休日の田舎は、人の往来が少ない。もう歩くのをやめて引き返そうかと思いかけた頃、信号機が見えて、その交差点こそが、四半世紀以上も前に私が座っていた、交差点の角だとわかった。角に到達したのである。
あの時は、雨で曇り空だったが、この日は青空。少し遠く離れたところに小高い雑木林が見える静かな場所だ。交差点からの景色は、あの時と変わることなく、懐かしいのと同時に、前へ進もうという気持ちが湧いてきた。
「本埜」という地名の標記を、もう少し行った先にある市役所の支所に見つけて、そうだったと思い出した。当時は、印旛郡本埜村だったのだが、その後の市町村合併の時代を経て、10年ほど前から、印西市に変わったようだ。
ここへ来るまでは、当時、車を数えていたあの頃の、人として至らなかったことばかりが辛く思い出されるばかりだったのだが、今はそうではない。
成田駅へ向かう電車に乗った。(篠原)



