昔から、お正月といえば、「一富士、二鷹、三茄子と言われています。そこで、「富士(不二または不尽)山」をお題に、お話を進めていきたいと思います。
言うまでもなく、富士山は日本人の精神性の象徴であり、文芸や美術のモチーフとされ、日本文化の精華でもありました。奈良時代、山部赤人は東国赴任の折、パッと見た富士山に秒殺され「田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」と詠み止めました。近世では、葛飾北斎も富士山に魅殺?され、「凱風快晴」や「神奈川沖浪裏」などで有名な浮世絵『富嶽三十六景』を描き上げています。こうした富士山への愛着は日本人に限らず、かの印象派の巨匠ゴッホも北斎らの浮世絵に劇殺され、富士山をバックにした絵画まで描いています。また、現代でも、写真家の岡田紅陽は富士山に悩殺され、富士山の会心の写真撮影をライフワークとして通いつめ、「富士子さん」と擬人化するほどの愛しようでした。
こうした芸術家に触発、啓発されたわけではありませんが、芸術とはおよそ縁がない当方も、「富士さん」について叙情詩みたいなものを作ってみました。
「富士さん」
春、立霞のベールに顔を隠し恥ずかしそうにする、乙女と見紛う紫不二。
夏、登山者が多く訪れ得意げにオレ様感を醸し出し、頬を染める赤不二。
秋、アーベンロートに染まり寂寥感に鬱々たる、黄昏た雰囲気の橙不二。
冬、氷雪で化粧し凛冽として人を寄せつかせない、雪女のような白不二。
こうして富士山は、日本人にとって特別の心性を感じさせる存在でした。山岳文学者の深田久弥も登山者にとってバイブルともいうべき『日本百名山』の中で、富士山の心性について触れ、「『語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ』と詠まれた万葉の昔から、われわれ日本人はどれほど豊かな情操を富士によって養われてきたことであろう。もしこの山がなかったら、日本の歴史はもっと別な道を辿っていたかもしれない。」とまで、極言しています。
果たして日本の歴史が変わっていたかどうかはさておき、どうにも不思議なのは、何故に日本人は、いや正確には外国人も含めて、富士山に特別の心性を感じるのかという点です。深田久弥は、この点につき、富士山は「小細工を弄しない大きな単純である。それは万人向きである。何人をも拒否しない、しかし又何人をもその真諦を掴みあぐんでいる。幼童でも富士の絵は描くが、その真を表すために画壇の巨匠も手こずっている。生涯富士ばかり撮って、未だに会心の作がないと嘆いている写真家もある。富士と睨めっこして思索した哲学者もある。」とし、また、「地面から噴き出した大きな土の塊、ただの円錐の大図体に過ぎぬ山に、どこにそんな神秘があり、そんな複雑があるのだろう。」と富士山の得体のなさにつき思案し、また、そのはかり知れない奥深さに考えあぐねています。
ただ、確かなことは、とりとめもなく雑然とし、一見相違と矛盾だらけの登山者ないし観光客を受け入れつつ、その対立や混沌を止揚し、まったく何事もないかのように確固として聳える不二が存在し続けていること、また、時空を超えて、いつの時代にも世界中に不尽を愛して、愛して止まない人々が確実に存在しているということです。深田に言わせれば、「富士山は万人の摂取に任せて、しかも何者にも許さない何物かをそなえて、永久に大きく聳えている。」ということになりましょう。この引用部分は末尾の著述ですが、突き詰めていくと、冒頭にある「この日本一の山について今さら何を言う必要があろう。」という、ある意味達観した、言い換えると開き直った気持ちになるのも当然のよう思います。(以上、深田久弥の著述部は、同『日本百名山』(新潮文庫)から引用。一部、読みやすくするため、かな、漢字表記を変更。)
だとすれば、深田を真似て乱文の最後をまとめると、次のようになりましょうか。
もう、専門外でわかりもしない「日本人と日本文化」について、あれこれ述べるのは止そう。不可侵で絶対的な存在である富士に対して申し訳ない気持ちで一杯である。およそ、老若男女、日本人であれ外国人であれ、富士を愛惜するすべての者にとって、富士は不二であり、もうそれだけで不尽である。そこにこそ、不二の不尽たる所以がある。さて、2022年不二の今年、一度は不尽に登ることとしようか。(岡田)


