30年近く前のことだ。当時私は、TVの番組制作会社でAP(アシスタントプロデューサー)をしていた。ある日、某紀行番組でイエメン(当時は北イエメン)のロケに行くことになった。ネット検索もできない時代、イエメンと聞いても何も浮かばなかった。アラビア半島の南端部にあり最貧国の一つで、敬虔なイスラム教の国であり、かつては「幸福のアラビア」と呼ばれていたことだけを聞き、男性スタッフ4人と私の5人のクルーは旅立った。
首都サナアは土埃の舞う別世界だった。街の中心には、城壁に囲まれたオールドサナアと呼ばれる旧市街がある。入り口に大きな門があった。その門の中央には何やら小さなミイラのようなものがぶら下がっていた。あれは何だろう。現地の通訳、モハメッド・ジランさんは、「あれは泥棒の手です。三人の泥棒の手を切断し、みせしめとして吊るしています」と流暢な日本語で教えてくれた。
イエメンではロケ車3台でいろいろな場所を回った。通訳のジランさんは日本留学の経験を持つユーモアに溢れた優しい男性で、車内では何でも話してくれた。「全てのことがコーランに書かれています。」私は三週間をかけて少しずつムスリムの考え方を知ることになった。私たちはイエメン人が1日5回の礼拝を欠かせないことを知り、ロケよりも礼拝を優先することに決め、金曜礼拝のためにはロケ先でもモスクを探した。ジランさんは、礼拝前はいつも綺麗に髪を整え、嬉しそうだった。「イマームの話、すごく感動しました。」私も嬉しくなった。
ロケ終盤には、標高2800mの山岳にある天然要塞の村シャハラに数日間滞在した。電気も水道もない、村唯一のフンドク(民宿)の息子ヤヒヤはノリのいいお兄さんで、屋上でカラシニコフ(ロシア製自動小銃)を撃ってみせてくれた。撮影こそできないが、私だけは女性の結婚式にも招待された。皆、全身を覆う真っ黒な服を脱ぎ、派手なドレスを着て、顔を出していた。宝石のように美しい彼女たちの姿を私だけ見ることができた。撮影が終わり、シャハラを発つ時、「いつかわからないけど、上空を飛ぶからね」と村人に伝えた。サナアに戻って数日後、空軍のヘリコプターに乗った私たちはシャハラ上空からの撮影に向かった。フンドクが見えた。モスクもわかった。フンドクの屋上で白いシーツのような布を振り回している男性が見えた。ヤヒヤだ。上空でジランさんと目が合った。私たちの目は涙で潤んでいた。心の扉を開けて人と接することの素晴らしさを実感した瞬間だった。(阿部)
by hinokigaigo
| 2021-08-04 09:37
| ひのきの講師

