大学の卒業旅行で中国の北京と西安に行きました。ガイドさんについて回るだけの気楽な旅で、何から何までおんぶにだっこで能天気に旅を楽しんでおりました。ところが西安から北京へ帰る直前に大規模な霧が発生し、バスが来ない、飛行機が飛ばない、迎えに現れるはずのガイドさんが現れない…と困ったことになりました。ホテルに取り残された私たち一行は、自力で何とか空港まで行かざるを得ないことになり、途方にくれました。
(朝4時にタクシー捕まえるなんて、できるの? できないの?)
なぜかここだけが「音」ではなく「言葉」として私の心を打ちました。
文字にしてみれば中学レベルの英語であり、私にも定期テストの範囲として出題されたなら書ける程度の英文です。でも言えない。この時、外国語を話せるか話せないかの差は勉強したかどうかではなく、その言葉で自分の思いを伝えようという経験を積み重ねてきたかどうかの差なんだ、と目からうろこが落ちたような体験をしました。
この体験はその後の職業人生に影響を与えました。どんな言葉も思いを乗せる舟ではないでしょうか。いくら立派な舟を作れても、その舟に荷を乗せて送り出せなければ意味がありません。きっと学生さんたちも色んな思いを「日本語」という舟にのせて届けられるようになりたいと思っていることでしょう。その気持ちに応えられる教師になりたいなと思います。(相田)

