夏休み前に、おすすめの本の紹介文を募集したところ、先生方から実に多彩な文章が寄せられました。小説、随筆、ミステリー、ノンフィクション、評論。教育、子育て、青年、心理、思考、思想、古典文学、建築、美術など。
文章が届くたびに、新鮮な思いがし、その本の語りかけてくることについてあれこれと想像しました。本の世界の広がりを感じる夏となりました。
今、世の中は大変な状況が続いていて、教師としても緊張の強いられる毎日ですが、それぞれの時空、情感、生き方に誘う紹介文で、一冊一冊の、その本ならではの世界に想いを巡らせていただけましたらうれしく思います。(織田)
〔著者名50音順〕
有村浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)
阪急電鉄今津線は、関西を走る片道15分ほどのローカル線です。
その電車を舞台に、恋の始まり、別れの兆しなど、様々なドラマが描かれる短編集。痛快でほっこり温かく、爽やかな読後感です。
映画にもなったので、本を読んだ後に、映像でも楽しんでください。(井澤)
角川書店編『万葉集』(角川ソフィア文庫)
『万葉集』とは「多くの歌の集」を意味し、万世に渡って語り継ごうという願いも込められているそうです。7~8世紀半ばに詠まれた約4500首の和歌が収録されている、日本最古の歌集です。
元号が「令和」に決まった時は、この中にある梅花の宴の序文「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」がヒントになって考案されたと言われ、昨年は多くの人々がこの古典を読み返しました。
和歌は、身分の高い人だけでなく庶民も詠み、男も女も自分の心情を歌に託して楽しみました。人生の喜びも悲しみも、燃えるような恋心も、望郷の想いも、その全てが時空を超えて、現代に生きる私達に力強く訴えてきます。
この本は、原文・訳文・解説文が付いていて、古文の初心者にも読みやすく工夫してあります。和歌は、文字通り解釈するだけではなく、別の意味もほのめかしていることが多々あるので、謎解きが好きな方にもお勧めします。(三宅)
岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社)
青年と哲人の対話を通し、心理学の巨頭アドラーの教えを実にわかりやすく紹介している本。
「トラウマは存在しない」「ほめてはいけない、叱ってもいけない」「変われないのは変わらないでいようと決心しているから」。社会通念を覆す哲人の言葉に、青年は食ってかかる。
青年は読者の代弁者だ。「そうだそうだ!」と共感しながら読み進め、青年と一緒に自分の常識もバサバサと斬られていくことになる。しかし、爽快、痛快なのだ。人生の荷物が軽くなる、シンプルで具体的な“答え”を提示してくれる良書である。(村上)
佐藤泰志『海炭市叙景』(小学館文庫)
連作短篇小説。海峡を隔てた町・海炭市(かいたんし)で、市井の人々がそれぞれ不安定な何かを抱えて生きるさまを、町の発展や景観の変化、そして季節の移ろいとともに描く「群像劇」である。一篇ごとに現れる主人公に共感しかけては、「あ!危ない」と踏みとどまるのに、作者のほうは、彼らに寄り添い続け、眼差しをそらさない。
10年前、この小説を読み、殊に最初に現れる兄妹の美しく哀しい描写に触発され、冬の函館市を一人旅した。海炭市は、函館市がモデルになっているのだ。その街を歩きながら、あの妹のような人は、あれからどう生きていくのだろう、などと思い巡らせたものだ。そして、美しく哀しい、と感じた気持ちと、函館の町の息吹のようなものとが、重なり合っていることを確信した。作者は、人々の危うさも含めた町全体を美しく哀しいものとして描いているのだ。また、久しぶりに、函館を訪れよう。(篠原)
沢木耕太郎『旅のつばくろ』(新潮社)
JR東日本が運行する新幹線の座席ポケットから『トランヴェール』という雑誌を手に取る旅人は、『深夜特急』から数十年後の沢木耕太郎とともに旅をすることになる。単行本としてまとめられた本書は、著者が日本国内を旅して書いた初の作品である。(井上俊子)
柴田愛子監修『今日からしつけをやめてみた』(主婦の友社)
私の娘がちょうど何を言ってもイヤとしか答えない時期、いわゆるイヤイヤ期真っ盛りの頃、友人からすすめられて読んだ本です。
当時の私は、思い通りに動かない娘に対して、他人に迷惑をかけないように親である自分がきちんとした「しつけ」をしなければならないと、肩肘張って娘と接していました。
そんな自分に、もっとリラックスして子育てを楽しむことを教えてくれた本です。親が思う「いい子」になることが、子育てのゴールなのでしょうか。そんなことを考えさせられました。
マンガで書かれている部分も多く、とても読みやすいです。幼児期の子どもをもつ親を対象に書かれた本ですが、自分が親になった時はもちろんのこと、自分が誰かに何かを教える立場になった時などにも参考になる内容だと思います。(吉田)
清水清『殺人犯はそこにいる』(新潮文庫)
「感動した」とも「面白かった」とも「勉強になった」とも違う、でも深く考えさせられる本です。この本はノンフィクションで、記者でもある著者が今も未解決の事件について真実を明らかにしようと調査し、発見した事実やまだ捕まっていない、でも近くにいるであろう犯人について書かれています。きれいな話だけではない現実を突きつけられ、怖くなった1冊です。(今井)
高野悦子『20歳の原点』(新潮文庫)
女子学生、高野悦子は親元を離れ、一人、京都の大学へ遊学します。
初めての一人暮らし、サークル活動、アルバイト体験、恋愛経験などを通じ、人間的に成長していくと思いきや、……。折からの学生運動の嵐に、いつの間にか、巻き込まれていきます。
まだ大人になりきれない、未熟であるが故の純情さ、純粋さ、不器用さ、真摯さ、それに、例えようのない孤独感……。
日記の中に散りばめられた詩が、とても秀逸です。特に、最後の詩は、彼女が自分の人生に挑み続け、それに懊悩した結果辿り着いた、澄んだ心情が、素直に表現されています。
時代背景の知識を必要とする、少し難しい本かもしれません。しかし、自分の人生に悩んだとき、読んでみてください。(岡田)
張岱『陶庵夢憶』(岩波文庫)
中国・明代末期について書かれたエッセイ。当時の人々の文化に情熱を注ぐ様子が群像劇のように生き生きと描かれています。
日本文化の原型がここにあったのではと思いながら読み進めるうち、文化に対する熱い思いこそ明から受け継いだ大きな遺産だったのだと気づかされます。見事な訳文の作成には、日本への留学経験がある周作人先生が協力したそうです。いろいろな意味で中国と日本の絆の深さを感じることのできる作品です。(中田)
筒井康隆『残像に口紅を』(中公文庫)
世の中から「あ」が消え、朝も愛もあなたも消える。文字が一文字ずつ消え、それでも小説の中を生き続ける小説家の苦闘が涙ぐましい。
言い換えストラテジー、表記と音の問題、巻末の音分布の考察など、読み応え十分。(大内)
外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)
多くの高校生、大学生に読まれている本です。
先生に言われたことだけしていれば良い点が取れるのは、高校生まで。大学生は、自分の価値観に沿ってインプットした情報を整理し、創造的に物事を思考し、枠にとらわれない自由な発想で編集する。これからは、このような創造的な人間こそが必要とされるのである。
研究者であり、教育者でもあった著者からの、未来を生きる若者に向けたメッセージが詰まっています。
この本はひと昔前に書かれたので、情報の整理方法は自分なりに改善する必要があります。しかし考え方は、今なお新鮮です。
この本を読んで自分の思考を整理してみると、自分の価値観を再認識できるかもしれません。(菊池)
帚木蓬生『ネガティブケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)
精神科医であり、『三たびの海峡』などの小説でも知られる帚木蓬生からのメッセージ。
ネガティブケイパビリティとは、「想定できない、答えの出せないことに安易に答えを与えず、その状態に付き合っていく力」「問題を性急に措定せず、宙ぶらりんの状態を持ちこたえる能力」である。悲しみに打ちひしがれる人を前にしたとき、あるいは想定できない事象に直面したとき、私たちはどんな言葉を持ちうるのであろうか。(井上俊子)
向田邦子「かわうそ」(『思い出トランプ』、新潮文庫)
向田邦子
の短編小説。『思い出トランプ』という文庫本に収録されています。短い描写の連続、巧みな比喩が彼女の文章の魅力。登場人物の残酷さ、滑稽さは果たして自分にはないと言えるか? 考えさせられます。(伊従)
向田邦子「字のない葉書」(『眠る盃』、講談社文庫)
こちらも向田邦子『眠る盃』というエッセイ集の中の一作。筆者が少女だった戦時中、疎開したまだ字の書けない妹と父の話。最近では中学校の教科書に載るなど有名な作品ですが、より深く味わうためには、『父の詫び状』という別の作品を合わせて読むのもおすすめ。この話だけではわからない普段の父の様子を知ることができます。(伊従)
山本崇雄『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』(日経BP)
教師が一方的に全てを教えるのではなく、学生が自分で考え、自主的に学ぶ姿勢を育てるというのが、これからの社会に必要なことである、ということが書いてありました。
確かに、自分の体験を顧みても、受け身で学んだことより、自分で自主的に学び、時に失敗し、またやり直したりしたことの方が、身についているような気がします。
これからの授業だけでなく、これからの人生にも役に立つ良い本でした。(石田)
吉田秀和『セザンヌ物語』(ちくま文庫)
キュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」と称されるポール・セザンヌの絵画について、日本の音楽評論において先導的役割を果たした吉田秀和が論じた本です。
「絵とは何か?」について、根本から考え直す仕事をしていった人生。自分の目で見た時よりも、よっぽど印象深く、力強い光景を提出するものとしての絵の世界は、いかにして私たちの前に生まれるのか。
この本をお読みになって、国立西洋美術館常設展の「葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々」を、ぜひご覧ください。(織田)
吉村昭『蜜蜂乱舞』(新潮文庫)
養蜂一家の生業と蜜蜂の生態を克明に描き、人間と蜜蜂が織りなす感動の物語です。愛娘を独り家に残し、春の鹿児島から晩秋の北海道まで蜜蜂の花を求めて旅は北上します。
大自然の力には逆らえずも、細心の注意を払って家族と蜜蜂を守り抜く伊八郎。夫を支える健気な理恵。蜂の習性を具さに観察した蒸殺の恐怖と、これを避けるための人間の謙虚さ。逗留する先の人々の温かさと感謝の思い。突然帰ってきた息子夫婦に対する厳しさと愛情。罪を犯した嫁兄に注ぐ人間愛。豊富に収蜜できた時の喜びと蜜蜂への感謝。侘しい移動生活の中でも美しい自然に癒され分かち合うやさしさ。危機に際しては一歩も退かず、羆に対峙しても家族を防ぎ切る勇気。最後の収蜜が終わり帰路に向かう時の喜びと平安……。
吉村昭の動物小説の中でも、より透徹した温かなヒューマニズムに貫かれた秀作です。一気読み、一押しの作品です。(田村)
吉村順三『小さな森の家―軽井沢山荘物語』(建築資料研究社)
この本は、建築家である著者が、自分の設計した山荘を一般の人向けに紹介したものです。
軽井沢山荘が、写真、図面、設計者自身の説明によって生き生きとした像として浮かび上がってくるように感じました。写真によって、山荘自体や、居間の幅広の窓から見える四季折々の自然が紹介されます。図面を見ながらこの山荘の中を想像の中で歩き回れば、そこでどのような生活ができるのか期待が膨らんできます。また、山荘に対してどのような配慮や効果が検討されたのかを、説明から知ることができます。
著者の山荘に対するあたたかい思いが、静かに伝わってくるような書籍です。(宮内)
李登輝『「武士道」解題』(小学館文庫)
武士道とは、知識を重んじるものではなく、行動を重んじるもの。正しい善悪の判断ができること。
「天子よりもって庶民にいたるまで、いつにこれをみな身を修めるをもって本と為す。その本乱れて末(国家)を納める者は、あらず」。すなわち、人間の良心に基づいた正しい善悪の判断ができない人、つまり利潤や欲望に負けてしまうような人では、家族も国家も治めることはできない、ということである。
新渡戸稲造の『武士道』を元に、李登輝氏が書いた本こそが、『「武士道」解題』である。彼がこの本を、あえて日本語で書いたのは、現代の日本人に向けて、伝統的な生き方を忘れずに実践するように、日本人に自信を持って行くようにとのエールであったのではないだろうか。(桃井)
鷲田清一『待つということ』(角川選書)
日本を代表する哲学者・鷲田清一による「待つ」についての考察の書。
便利で快適なテクノロジー、スピード化する情報ネットワーク、そんな現代社会の中で未来は常に、「現在」における予期、予想、予定…といった「あらかじめ」の中に囲い込まれるようになり、我々は「待つ」ことへの耐性を失った。しかし本来「待つ」とは人知を超えた「絶対的外部」としての未来に自らを開いておくことではないのか。著者はそのような真の「待つ」を提示する。
コロナ禍で先の見えない今、鷲田氏の言葉は知性の水に打たれる清涼な滝行のようであり、この困難な日々を静的でありつつ強靭に過ごすためのヒントとなる名著である。(相田)

