大学院進学クラスの読書感想文を読んで①

今回の課題文は、「佐藤可士和 感覚的に夢中になれるもの」。アートディレクター、クリエイティブディレクターとして注目されている佐藤氏の言葉です。

子供の時や学生の時に夢中になったものは大人になっても変わることはなく、それは仕事にすることができる、という文脈には、大いに共感できます。それゆえ、学生にとって、かつて好きだったことが今につながっているのかを問うことができ、研究テーマを模索する学生たちに大きな気づきを与えることが期待されました。

 

 そして学生たちの文章を読んだところ、いずれも、自分のことについて素直で率直な感想が書かれているという印象を受けました。

 しかし、好きだったものが何なのか、自分が子どもだった頃から掘り下げていくというのは、人によっては骨が折れる作業であって、必ずしも、楽しく進められることではないでしょう。実際、学生たちの文章は、研究テーマの決定に直ちに結びついているものばかりではありません。悪戦苦闘した様子もうかがえます。

 その中で、学生Aの感想文は、子ども時代から丁寧にたどって、適切な言葉を選んで書かれています。Aは、子どものころ、忙しい両親のもと、週末は絵画教室に通って公園で写生をしていました。絵の題材としての植物と接するうちに、「同じ植物でも成長環境によって姿が違うことが分かり」、そこから、「イラストレーションにおける、植物の表現について」というテーマに行き着いたようです。

そこには、自らの半生を丁寧にゆっくりと顧みている様子が伝わってきて、気づきがうかがえると同時に、それは感想文としても優れており、テーマを決めるまでの経緯が感受性豊かにつづられています。

 学生Aの感想文は以上の通りですが、佐藤氏の本文についての感想にとどまって、自分自身のテーマを見出すに至っていない学生たちも、今回の文章に反映されていないだけで、果たして自分は何に夢中でいられたのか、考えさせられ、心の隅に残るものがあったのではないかと、ここからの進化に期待する次第です。読書感想文を通して自分自身を発見することが、この授業の大切な目的のひとつでもあります。

  

さあ、ここまで記して、他ならぬ筆者自身を振り返ってみました。「感覚的に夢中になれるもの」として、日本語の教師の道を選んだのかということです。

日本語の教師となるに至るまで、誰もが、同じ動機で、自分自身がした選択に迷うことなく進んで来られたのでしょうか。そうではなく、言語研究に夢中で取り組み、その流れで現在の職業へと進んだ人もいれば、言語研究そのものよりも、異文化コミュニケーションあるいは学生を導くということへの強い関心から、今に至った人もいるでしょう。

学生に気づきを与える作業は、同時に、教師自身に問いかける作業でもあります。(篠原)
  


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by hinokigaigo | 2018-05-07 11:09 | ひのきの作文授業